市川市探訪

市川市は、縄文時代から多くの人が居住し、堀之内貝塚、曽谷貝塚、姥山貝塚など日本有数の貝塚郡が存在している。
大化の改新後、国府台には下総の国府が置かれ、聖武天皇の詔により国分僧寺や国分尼寺が今の国分周辺に建てられ、下総国の政治の中心地として栄え始めた。またこの頃、真間に手児奈という美女の伝説があり、万葉集に詠まれた。
平安時代は入ると、中央集権が衰えて地方政治が乱れたことで、平将門や平忠常の乱が起き、市内には平将門の数々の伝説が残されている。
鎌倉時代に入ると、日蓮の唱える法華経信仰が広まったことで、法華寺や本妙寺、安国寺などが建立された。
戦国時代には太田道灌により国府台城が築かれ、里見氏と北条氏は国府台を舞台に幾多の合戦を繰り返した。
江戸時代になると、幕府は行徳で盛んだった製塩に着目し行徳を天領として、行徳は成田山参詣の宿場として栄え、渡船の標識として常夜燈が建てられた。
明治以降は、国府台に軍隊の施設が置かれた。

天満天神宮

天満天神宮は五中(大野城跡)グランドを挟んで、北側の高台に小さな社がある。



平将門が天慶元年(938)に京都の天満宮(北野神社)を勧請して創建したと伝えられる。
菅原道真公の像を描いた掛軸に
「抑天満宮者 人王六十一代 朱雀天皇御宇 天慶元年 平親王将門公 皇都天満宮 下総大野ニ移ス 別当光胤山本光寺」とその由来を記したものが残されている。
こうしたことから、この大野の地域には城山(第五中学校のある台地)を中心に平将門伝説が古くから伝えられ、信仰されてきた。
江戸期には、本光寺が別当寺となり管理していた。
現在、市川市域に残る「将門伝説」には、市域の北東部即ち、この大野の将門崇拝伝説に対して、中部以南では菅野の不動院御代院八幡不知森などに、将門調伏伝説が伝えられている。

天満宮.jpg 天満天神宮

天満宮看板.jpg

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